東京は夢の国
興味を持ったきっかけは日本のドラマ「東京ラブストーリー」
インドネシアの東ジャカルタで両親と1つ下の妹、4つ下の弟と5人家族の中で育ったレニさん。緑豊かな土地で過ごし、妹、弟と木登りをして遊んだり、ガールスカウトに入会し地域のお祭りの企画や司会などを担当したり、子ども時代から行動派で率先して何でもやっていたそうです。
地元は日系企業が多く進出している地区で、幼い頃から日本を感じられる空間で過ごしたレニさんはドラマ「東京ラブストーリー」に影響を受け、日本に興味を持つように。ダルマプルサダ短期大学(3年制)日本語学科に入学し、卒業するころには日常会話は完璧にマスターするレベルまで上達しました。大学卒業後は中国企業に入社し、その後、ヤマハインドネシア株式会社に転職。通訳として業務を行う中で、日本から出張に来ていたご主人に出会い、結婚を機に23歳で来日。
現在はインドネシア語講師、通訳・翻訳、ビジネスホテル東横イン正社員と幅広く活躍しています。前半はインドネシアで過ごした日々の話をお届けします。
(聞き手 三井忍) / 写真提供:本人
生まれ育った東ジャカルタについて聞かせてください
首都ジャカルタから車で約1時間の場所にある東ジャカルタで育ちました。湖や川、森林があり浜松の自然豊かな地域と雰囲気が似ていてとても素敵な場所です。インドネシアの人たちの国民性は基本的にはみんな優しいですが、ちょっとのんびり屋さん面もあります。知らない人同士が挨拶してもする打ち解ける感じがあるところが素敵だと思います。家の外に出るとたくさんのご近所さんがいてみんな優しく、地域で子どもを育てているような雰囲気がありました。
インドネシアの魅力について
インドネシアは亜熱帯地域で四季がなく一年中温暖な気候です。雨季と乾季の2つの季節があり、雨季は10月~3月、乾季は4月~9月です。乾季は湿度があまり高くないため、観光にはベストシーズンです。食べ物もおいしくて、みなさんがよく耳にする「ナシゴレン」「サテー」「ナシチャンプル」などは有名です。「ナシ=ごはん」「チャンプル=まぜる」という意味があります。浜松にもインドネシア料理が食べられるレストランがありますから、店主に料理の意味を聞いてみるものも面白いかもしれませんね。
インドネシアは石油をはじめ、天然ガス、石炭などのエネルギー源や鉱物資源、天然ゴム、パーム油など、自然資源も豊富です。人口は世界第4位。若い年齢層が多く、これからも発展し続けていく国です。
レニさんが日本に興味を持ったのはいつですか
子どもの頃からドラえもんやキャンディキャンディ、セーラームーンなど日本のアニメはよく見ていましたが高校3年生の頃に「東京ラブストーリー」というドラマを見て東京に憧れました。「いつか日本に行きたい!」という思いから日本語習得のために「ダルマプルサダ短期大学(3年制)日本語学科」に入学し本格的に日本語を勉強しました。当時の私からみると日本は「夢の国」でした。
大学3年生の時に日本に留学されたそうですね
日本留学のために、テストと面接をクリアし念願の日本に行くことができました。東京は想像していた通り大都会で、テレビで見た同じ風景で感動しました。自動販売機や24時間営業のコンビニエンスストアを来日して初めて体験したときはこんな便利なものがあるのかと驚きました。いつでも何でも買える環境は安全な日本だからできることだと理解しました。そして、留学中はディズニーランドにも足を運び、絶叫マシーンなど、初めて体験する乗り物にもチャレンジしました。
留学中は金沢と新潟でホームステイさせてもらいましたが、田舎暮らしも貴重な体験で、留学期間中はたくさんの日本文化に触れ日本への理解を深めました。
大学を卒業するころには日常会話をマスターするほど日本語が上達したレニさん。
卒業後は中国企業に就職し、1年後に転職先として選んだのがヤマハインドネシア株式会社。運命の出会いがあり来日することになりました。インドネシアの暮らしから日本へ。日本では通訳・翻訳、インドネシア語講師として活動し、12年前からビジネスホテル東横インに勤務し、6年前から正社員としてホテルの客室担当のチーフとして多国籍のスタッフのまとめ役をしています。後半は社会人になってからのレニさんと来日後の生活について伺いました。
通訳としてヤマハインドネシア株式会社に勤務
ー運命の出会いがあり23年前に来日ー
短大卒業後は中国企業に半年勤め、その後、ヤマハインドネシア株式会社に転職したそうですね
「YAHAMA=モーターサイクル」だと思い就職試験の申込をしましたが、実際は楽器メーカーのYAHAMAでした。楽器メーカーに入社して始めて見たのが「ピアノ」。通訳として採用されましたので、細かい部品の専門用語を覚えるのが大変でしたが、毎日新鮮でした。入社して間もない頃に、日本から出張に来ていた主人に出会いました。交際4カ月でプロポーズされ、結婚を機に日本に行くことになりました。ヤマハインドネシア株式会社に1年間しか勤務できませんでしたが、自分の運命を変える出会いがあり感謝しています。
浜松の印象について教えてください
インドネシアは人が多くざわざわしている感じがありましたが、浜松で居住している地区はとても静かで落ち着いて過ごせる場所です。インドネシアに里帰りをして日本に戻ると浜松市は安全な地区であるということを実感します。浜松市は海も川も山も湖もあり、お金をかけなくても遊べる所がたくさんあり、食事もおいしくて素敵な地域だと思います。 日本全体で言うと日本は四季があり、同じ場所でも季節によって違う風景が見られるのが素晴らしいです。四季の移り変わりを感じながら過ごせる日本のことが大好きです。
子育てしている中で印象に残っていることはありますか
外国人だからと言って頭ごなしに「外国人のあなたにはこれはできないでしょ」などと言われることなく、みんなが日本人の保護者と同じように接してくれたことが本当にうれしかったです。娘たちが通っていた学校の先生たちをはじめ保護者の皆さんの理解があり嫌な思いをすることなく過ごせたことは幸せでした。
学校の授業が始まる前に子どもたちに本を読んで聞かせる時間がありますが、8年間欠かさずに本読みボランティアを続けたことが思い出に残っています。英語も話せるため、クリスマスのシーズンは英語の本を読み聞かせました。本を通して子どもたちとの交流ができたことと、8年間つづけられた環境に感謝しています。
来日後の仕事について教えてください
子育てが一段落した頃から官公庁の通訳や翻訳、インドネシア語の講師の仕事と平行して、12年前からビジネスホテル東横インの客室係で働いています。6年前正社員となり現在はチーフとして、スタッフをまとめる立場にあります。客室係のスタッフは多国籍で、インドネシアをはじめ、フィリピン、バングラデシュ、スリランカ、タイ、マレーシア、ペルー、韓国、中国と多いときでは10カ国のスタッフが集まります。文化も風習も違う国の人々をまとめるのは大変ですが、ビジネスホテル東横インのルールがあるため、言葉の意思疎通で行き違いがないように、デモンストレーションを駆使して誰もが理解できる形で指導しています。チーフの立場は何でもできないといけないため、エアコン掃除や水道の部品交換など客室の備品に関する細かい修理などもできるようになり、スキルがあがっています。ホテルの支配人は理解があり働きやすい環境です。
インドネシア講座はいろいろなところで行っていますが、浜松国際交流協会(HICE)では毎週火曜日の夜に開講しています。言語と平行してインドネシアの文化も学べるように地元のお菓子を食べる体験など、文化的なこともレッスンで取り入れています。楽しみながらインドネシア語を学べる環境を整えています。
浜松市の外国人審議会インドネシア代表をされているそうですね
浜松市に在住しているインドネシア人の数は2024年11月現在1,830人。国籍・地域別の市民数は第5位と、多くのインドネシア人が住んでいます。外国籍の人は選挙権がないため、インドネシア人の要望をまとめ市との話し合いに参加していますが、浜松市をもっと住みやすい街にするために代表者として意見をしています。ゴミ捨てや回覧板など地域の決まり事などはしっかりと守り、日本の風習や文化を理解した上でもっと外国人が住みやすくなるための提案などを行っています。
今後について聞かせてください
現在3世代で暮らしています。義理の両親の介護をしていますが、介護の知識を深めるために勉強したいと思っています。趣味の家庭菜園では10種類以上野菜を育てていますがうまく育つときと育たない時があります。家庭菜園も上手においしくできるように勉強できたらと思っています。
今後の活躍も楽しみにしています。本日はありがとうございました。
川越レニ(KAWAGOE RENI)
1978年インドネシア生まれ
1999年ダルマプルサダ短期大学(3年制)日本語学科卒業2000年中国企業に入社
2001年ヤマハインドネシア株式会社に転職
通訳として働いていた時にご主人と出会う
2002年、結婚を機に23歳で来日、2児の母に
インドネシア語講師をはじめ官公庁の通訳翻訳なども担当
ビジネスホテル東横インの社員としてホテルの客室チーフの担当。職歴12年。