カタコトの日本語しか話せなかった小学校時代
何倍もの努力で中学3年生から通訳として活動したことがきっかけで将来の目標が見えるように
ブラジル人学校に通い、ブラジル人コミュニティの中で育ったカイキさん。リーマンショックの影響により、6年生の3学期終盤に公立小学校に転校。当時、日本語の読み書きはあまりできませんでしたが、1対1の学習支援制度のおかげで地元の小学校を無事に卒業しました。中学校から日本語の猛勉強を始めたというカイキさんの日本語習得方法は「教科書の漢字にフリガナをふって理解するまで何度も繰り返し読み書きをする」こと。中学3年生からブラジル人コミュニティの中で通訳を担当するほど日本語の理解度が上がりました。高校生のときに病院で通訳として活動したことをきっかけに医師の道を志すようになったそうです。前半は子ども時代について伺いました。
(聞き手 三井忍) / 写真提供:本人 ※インタビュー:2024年11月
ブラジル人小学校時代の思い出を教えてください
ブラジルのカリキュラム、ポルトガル語の授業を行う小学校に通いました。日中はポルトガル語の授業を受けて,放課後はブラジル人の友人と校庭で遊ぶのが日課でした。土日もブラジル人の友人と過ごすことが多かったです。当時はブラジル人コミュニティ内で生活が完結していたため、日本語が流暢に話せなくても生活に困ることはありませんでした。
小学生のときにリーマンショックが起こり、父が職を失い、両親の故郷のブラジルに帰るか、このまま日本に残るかの選択を迫られました。日本に残る場合、これまで通っていたブラジル人小学校に通うことは難しく、一般的な公立の小学校に転校することが条件でした。悩んだ末に両親が自分の意志を尊重してくれて日本に残ることになりました。当時は、環境の変化に苦労したことを覚えていますが、今考えると日本に残って良かったと思います。
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地元の中学校に進んだそうですね
小学生のときはブラジル人コミュニティの中で過ごすことが多かったため、日本語はほとんど話せませんでした。カタコトの日本語でしたが、小学6年生の3学期の最後に地元の小学校に少しだけ通い、地元の公立中学校に進学しました。
授業について行くため、まずは日本語の習得に力を入れました。教科書の漢字にすべてフリガナをふり「書く・読む」を中心に日本語の理解を深めました。そのときは周囲と同じことをやっているだけでは追いつくことができないと考え、みんなの数倍学校の課題に時間を費やしたことを覚えています。日本語学習には「漫画やドラマ」で覚える方法もあるとは思いますが、僕にとっては教科書を解読する、友人と話すのが日本語を覚える一番の近道でした。
中学3年間でほぼ日本語を習得し、ブラジル人コミュニティの中で困っている人の通訳なども行うようになりました。
医師になろうと思ったきっかけ
医師になろうと考え始めたのは、高校生のときに日本語を話すことができないブラジル人と一緒に病院に行き通訳のボランティアをしたのがきっかけです。そのときは通訳の難しさを実感し、通訳という職業に憧れを抱きました。
一方で、自分の中で通訳をする際にいくつか課題を感じました。
1つ目は通訳者の「解釈」です。通訳をすると話し手の言っていることを一言一句違わずに翻訳できないときがあることに気づかされます。翻訳ができないとき,通訳者は自身で「解釈」して翻訳できない部分の穴埋めをします。通常の場面ではその穴埋めは大きな影響ありませんが、微妙なニュアンスが大事であったり、大きな決断をしないといけなかったり、医学の知識が少ない通訳者が翻訳する場面では通訳者の「解釈」は患者さんの受け取り方に大きな影響を及ぼします。
2つ目は、通訳を介すと医師が患者さんの言葉を直接聞き取ることができないことです。患者さんがどのような症状があるのか、何を考えているのか、何を大事にしているのかは、直接聞いた方が圧倒的に情報量が多く、病状の説明の仕方や治療の内容と目標に深く関わると痛感しました。
日本語を話せるようになり、自身の特技を活かした職業に就きたいと考えていた中で、上記の課題を解決するには自身が医師になってポルトガル語の話者と通訳者を兼任すれば互いにメリットが多いこと考え、医師を目指そうと決めました。
北海道の大学に合格して医師の道への第一歩を踏み出し
現在は聖隷浜松病院初期臨床研修医として勤務
高校を卒業したカイキさん。無事に北海道の大学に合格し医師になるための勉強が始まりました。大学を卒業すると初期研修の場として自身が生まれ育ちポルトガル語を活かすことができる浜松を選択しました。後半は浜松について伺いました。
医学部時代の思い出について聞かせてください
学業に関して、大学時代の授業や実習はどれも私自身にとって新鮮でした。
高校生のときに「人間の体の仕組みはどうなっているのだろうか」「薬剤はどうやって効くのだろうか」「疾患とはそもそも何が原因で起こり、具体的には何なのか」と多くの疑問を持っていました。大学で勉強をすすめていくうちに、その疑問を少しずつ解決していき理解していく過程が楽しかった覚えがあります。
大学進学前は実家に帰るとポルトガル語を話す機会がありましたが、北海道の生活が始まるとポルトガル語を話すことはなくなりました。北海道生活3年目になると、ポルトガル語の文法を忘れることはなくても、単語をすぐに思い出せなくなることはありました。そのときは定期的に電話で両親と会話して北海道でもポルトガル語を使う機会をたくさん作るようにしました。
温暖な浜松から極寒の旭川での生活の違いとは?
北海道は四季が豊かでいつもその雄大さに圧倒されていました。人生の大半を雪が降らない浜松で過ごしたので北海道の冬は凍った路面を歩くことに慣れないうちは大変でした。浜松の温暖で雪が降らない地域で過ごした時間は地元を離れてみるとありがたさがよくわかりました。
研修医として忙しい日々を送っていらっしゃいますが、診療科の具体的な仕事内容について聞かせてください
研修病院によって研修医の業務内容に違いはありますが、初期臨床研修を行った聖隷浜松病院では「研修医を育てる、経験させる」という体制が整っている病院だと思いました。上級医に指導を受けながら、研修医が参加できる診療業務(診断・検査・処方など)を行っています。必然的に業務量と勉強量も多くなりますが、初期臨床研修であらゆる診療領域の経験を積むことはとても大切なことで、自分もそれを求めて聖隷浜松病院を選びました。
研修医は基本的に、1か月ごとに各診療科を回ります。平日は病棟管理や外来を行い、夜間・休日は救急外来を受診される患者さんの診察を行います。
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ポルトガル語の診療について聞かせてください
ありがたいことに研修医期間中にポルトガル語を使って診療や患者への説明を行う場面を多く経験させていただきました。
通訳をすると患者さんから「ありがとう」と感謝されることがあり、日々の励みになっていました。患者さんから「(医者になれて)おめでとう」と言われることも多くあり、改めて外国人医師の希少さと需要を実感しました。
高校生までは通訳者側の立場でしたが、医師側の立場になり改めて直接患者さんの言葉を聞く大切さを実感しました。一刻を争う場面でも、相手の言語を話すことによって患者情報の収集がスムーズになり、効率的な診療ができることがあります。
現在(初期研修医2年目)は専門がないので、将来的には自分の専門の技能を磨きつつ、外国語を最大限活かせる専門領域に進みたいと思いました。
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どんな医師になりたいですか
将来的に自分の語学を活かすことができる脳神経内科医になりたいと考えています。
脳神経内科は馴染みがない診療科かもしれませんが、痛みやしびれ、脱力、意識障害、頭痛など幅広い症状を扱う診療科です。疾患としては、パーキンソン病、多発性硬化症、髄膜炎、脳炎、脳梗塞などを扱います。脳神経内科で扱う痛みや痺れ、脱力は主観的であることが多く、脳神経内科医は患者さんのそれぞれの症状の表現をできるだけ拾い上げて診断・治療に繋がるように尽力されています。
そこで大事になるのが症状の聞き方で、患者さんが外国籍の方であれば、自分の語学を活かせると考えました。加えて、神経疾患は疾患の性質上長期の治療を要す場合が多いです。外来に来る度に自分の言葉で何不自由なく会話をすることができる環境を作りたいという思いになりました。
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今後やりたいことや、目標について
4月から県外の大学の脳神経内科に修行に行く予定です。またいつか浜松に戻って脳神経内科のスペシャリストとしてブラジル人が安心して病院に来られるように語学を活かして多くの方の助けになれるようになりたいです。
最後に浜松はどんな地域だと思いますか
気候が良く住みやすい地域だと思います。冬は晴れている日が多くお出かけをしたくなります。東は都市部で西は自然が豊かでバランスがとれていることも魅力です。個人的には天気がいい日に山間から見える富士山や浜名湖の湖畔の長閑な感じが好きです。
夏は湿度が高くなり、うっとうしいと感じることがありますが、北海道にいくと浜松の湿気が恋しくなることもよくありました。
先日、研修医の同期と自転車で浜名湖を1周しました。途中休憩しながら浜名湖周辺の景色を堪能しました。
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貴重なお話をありがとうございました。今後の活躍も楽しみにしています。
川北カイキ(Kaiki Kawakita)
1997年浜松市生まれ
小学6年生の3学期途中までブラジル人小学校に通い、その後リーマンショックを契機に公立小学校に転校。市内の公立中学校、私立高校に通い、その後北海道の医学部に入学。
現在は社会福祉法人 聖隷福祉事業団 聖隷浜松病院に勤務。初期臨床研修医2年目
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