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オンラインセミナーを開催「日本で暮らすアフガニスタンからの退避者の実情にせまる」 2022年9月4日(日)

活動報告2022年10月12日(水)

 アフガニスタンがタリバンに実行支配されて8月に1年を迎えました。 今も世界には約18万人のアフガニスタン人が国を追われ、日本にも在アフガニスタン日本大使館とJICA現地職を含めて800人ほどが退避しています。 浜松にも1名、退避者が暮らしており、現在は日本語を学んでいます。 そのほか、HICEには元留学生の市内企業へのマッチング等の依頼が日本の支援団体からあるなど、現在の在住外国人支援の枠組みの中でできることに取り組んでいます。
 そのような中、より多くの市民にアフガニスタンの現状と退避者の置かれている状況について関心を持ち、理解をしていただくためにセミナーを開催しました。前半は、山本英里さん(公益社団法人シャンティ国際ボランティア会)からこれまでのアフガニスタンの歴史と概況についてお話しいただき、さらに退避者であるセリヤさん(仮名)から体験談を語ってもらいました。 続いて小川玲子さん(千葉大学教授)よりアフガニスタンから日本への退避者の現状と課題についてお話をいただきました。 後半は浜松に住む退避者の生の声を交えてパネルディスカッションを行い、学びを深めました。

浜松に退避しているサラさん(仮名)

 アフガニスタンでは1980年代から内戦状態が続き、常に難民が生み出されてきました。
そんな中で2001年から社会経済の復興が支援され、成果が出始めたところに、昨年再びタリバンによってアフガニスタンが実行支配され、特に女性の権利が脅かされています。 また、食料危機など、過去最悪の人道危機が懸念されているということです。

退避者であるサラさん(仮名)は、「1日にしてこれまでの20年間の自分の教育の実績がゼロになった。 せっかく大学で経営学を学んだのに、女性が社会で職業に就くことがほとんどできなくなってしまった」というのです。同じく退避者であるセリヤさんの体験によると、常に目だけを出す青いブルカという衣服をかぶることを強要され、買い物や病院など外出する際に自分で車を運転することは許されず、常に庇護者である男性とともに行動しなくてはいけなくなり、自由な生活が失われてしまったことを嘆いていました。

現在、日本に退避しているアフガニスタン人は、基本的に日本政府がアフガニスタン復興支援の柱の一つとして行った人材育成プログラムで来日した元留学生や、日本政府や民間団体で働いていた方たちであることが報告されました。 「We are herebecause you were there」つまり、これまで日本が国際協力や留学生として関わってきた人々が外国とのつながりがあるという理由で迫害を受けているのです。 そのような人たちに対して、日本社会はどのように応えていくべきなのでしょうか。
 これまでになかった異例の避難民支援として、ウクライナ支援が国から打ち出されていますが、それに比べてアフガニスタン退避者への公的支援はほとんどありません。今後はウクライナ避難民への対応を標準にしていくような支援体制が望まれる、と報告者から強く訴えが出されました。 日本への受け入れ初期の支援の大切さは、これまで多文化共生を実践してきた経験からも共通する点だと言えます。


 浜松で暮らす退避者のサラさんは「日本での生活の自立のためにも、まずは日本語教育を無償にしていただければありがたい」と語りました。 浜松での生活は、なんといっても自由に生活できる喜びをかみしめながらも母国に残してきた家族を心配しながらの不安定な気持ちを抱えたものであることには違いありません。 彼女を受け入れている私たちができることは何か、この現状に関心を持ち続けることではないかと認識を新たにしたセミナーとなりました。